RBCのあゆみ

RBC誕生。すべてはここから始まった。

1952(昭和27)年~1967(昭和42)年

1952年(昭和27年)

立命館大学放送研究会設立

初代局長:高見 満洲雄

  • 立命館大学放送研究会を10名程度で発足させる
  • プリントテキストと放送講座など理論面の研究が中心の活動内容だった
  • 録音ルポルタージュ“立命館大学”ほかを制作、ラジオ京都で放送
1953年(昭和28年)

関放連結成

第2,3代局長:武田 智敬

  • 関西学生放送連盟結成(関大・関学・同大)、半月後にRBCも加盟
  • 関西学生放送連盟結成式を挙行
1954年(昭和29年)

校内放送実現へ奔走

第4代局長:星野 資

  • 放送設備促進委員会を結成し、校内放送実現に向けて運動活発化
  • 日本大学野球王座決定戦の録音に東京へ 9月に学内で発表
  • 放送局が中央委員会で正式に承認
  • ざつおん創刊号発行 発行人:武田智敬 編集人:武田長・玉村時男
  • 放送設備が全学協議会大学教授会で許可される
1955年(昭和30年)

RBC開局第一声、試験放送開始

第5代局長:南 次郎

  • 試験放送開始
  • 5月9日、RBC開局第一声
1956年(昭和31年)

LPコンサート開始

第6代局長:横溝 親光

  • 第1回RBC LPコンサートを開く
  • 月1回の定期LPコンサート、春秋ハイキングの開催
1957年(昭和32年)

NHK学生放送劇コンクール 優勝

第7代局長:藤田 斉

  • 放送劇「つむじ風」NHK学生放送劇コンクールにて優勝
  • NHK第2放送「若い世代」で全国放送される
1958年(昭和33年)

京都学生放送協会を結成

第8代局長:藤谷 正直

ラジオ京都協力のもと、同志社大学・京都大学などで京都学生放送協会を結成
1959年(昭和34年)

衣笠キャンパスにスタジオ完成

第9代局長:西村 謙一

衣笠理工学部にスタジオ完成 番組などの相互交流
1960年(昭和35年)

安保の足音がRBCにも迫る

第10代局長:佐々木 智海

  • 全学連大会(東京)に初めて取材派遣する
  • 「安保に対する声明文」RBCとしての見解を発表する
  • 安保抗議デモ河原町で収録
  • 明治大学放送研究会と姉妹関係を結ぶ
  • 大学創立60周年記念参加の放送祭にて「立命60年の歩み」を発表
1961年(昭和36年)

RBC設立丸10年

第11代局長:飛鳥井 雅和

開局10周年記念放送祭を開催
1962年(昭和37年)

全学放大会を開催

第12代局長:日高 弘之

全学放大会を開催 全学放ドラマコンクールで優勝
1963年(昭和38年)

衛星中継がスタート

第13代局長:藤田 勝

(日本の出来事)通信衛星によってアメリカとのテレビ中継に成功
1964年(昭和39年)

東京オリンピック開幕

第14代局長:荒木 謙

ステレオコンサートを学園ホールにて開催
1965年(昭和40年)

ベトナム戦争勃発

第15代局長:沢田 牧夫

  • 産業社会学部設置
  • 一部経済・経営両学部 広小路より衣笠キャンパスへ移転
1966年(昭和42年)

いざなぎ景気はじまる

第16代局長:小林 雅陞

(日本の出来事)いざなぎ景気はじまる
1967年(昭和43年)

公害対策基本法制定

第17代局長:神戸 陽三

(日本の出来事)公害対策基本法制定

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