RBCのあゆみ

BKC開設 2キャンパス化と本格的な映像時代の到来

1990(平成2)年~2003(平成15)年

1990年(平成2年)

テレビカメラを初導入、映像制作のスタート

第40代局長:前田 佳之

  • 本格ビジュアル化の導入を目指し、ビジュアル化準備委員会を設立(局長の諮問機関、構成員は各パートから1名以上出向)
  • テレビカメラ導入
  • 報道委員会が報道室になる
  • 学園創立90周年 RBC開局40周年記念講演会を開催
1991年(平成3年)

映像制作環境が整う

第41代局長:阿部 直樹

  • ビジュアル機材整備(編集機導入など)
  • 学生課よりBKC放送室をユニオンスクエア内に設置する意向を受ける
1992年(平成4年)

BKC開設に向けた準備が本格化

第42代局長:宮野 博

  • 学生課よりBKC放送室が白紙撤回
  • びわこキャンパス対策委員会設立
  • ビジュアル化準備委員会が執行委員会の諮問機関に、また構成員も専属となる
1993年(平成5年)

いよいよBKC開設へ最終段階

第43代局長:清水 修介

びわこキャンパス対策委員会が局長の諮問機関となる
1994年(平成6年)

BKC開設、再び2キャンパス拠点へ

第44代局長:薄墨 寿宏

  • BKC開学に伴い、衣笠・BKCの2拠点化となる
  • ビジュアル化準備委員会発展的解体→3パート(制作・アナウンス・技術)に移行
  • 局外交正面は衣笠キャンパス対策委員会を設立・移行
  • 報道室から報道委員会になる
  • UNN関西学生報道連盟に加盟
1996年(平成8年)

立同戦・学園祭活動が進化

第46代局長:隼田 正洋

  • 「Ritsナイター’96」春季立同戦時に行われたミニFM企画
  • 学園祭ライン企画でトーク・音楽の要素を融合した「ガラパゴス’96」を開催
  • ミスコンイベント「Rits Universe」をRBCが実施
1997年(平成9年)

映像科が新設、AVラボ使用開始

第47代局長:水野 由美子

  • 技術部映像科を設立
  • 教育研究システム課小委員会で、RBCにおけるAudio Visual Laboratory(AVラボ)の利用許可を得る
1998年(平成10年)

映像放送が本格スタート

第48代局長:山中 白

  • BKCの新展開に伴い、BKCのリンクスクエア2F・リブロ控室にBKCの拠点を開設
  • BKCのケーブルTV網での映像ON-AIR開始
1999年(平成11年)

衣笠BOXが学生会館に移転、インターネットPJが始動

第49代局長:橋場 慎

  • BOXが学生会館2Fに移転、AVラボにRBC専用スタジオが完成
  • BKCにて毎平日5時間放送「メガプログラム」開始
  • インターネットプロジェクト本格化。内外から大きな反響を呼ぶ
  • 祇園祭デジタルアーカイブプロジェクト開始。9月、新聞三紙(京都・朝日・読売)に取り上げられる
2000年(平成12年)

RBC50年目へ

第50代局長:飯澤 光亨

RBCが50年目に突入。2000年問題が噴出
2001年(平成13年)

時代は21世紀へ

第51代局長:寺澤 正直

(世界の出来事)9.11同時多発テロがアメリカで発生
2002年(平成14年)

日韓ワールドカップ開催

第52代局長:西村 雄一朗

(日本の出来事)日韓ワールドカップ開催
2003年(平成15年)

イラク戦争勃発

第53代局長:植田 雄介

(世界の出来事)イラク戦争が勃発

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